かつらぎ町の世界遺産

   かつらぎ町には世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』を構成する文化財「三谷坂(丹生酒殿神社・笠石・頰切地蔵を含む)」「町石道」「丹生都比売神社境内」があります。


   紀伊半島の大部分を占める紀伊山地は、標高1,000~2,000m級の山脈が東西南北に走り、年間3,000mmを超える豊かな雨水が深い森林を育む山岳地帯で、神話の時代から神々が鎮まる特別な地域と考えられていました。仏教でも、深い森林に覆われたこれらの山々を阿弥陀仏や観音菩薩の「浄土」に見立て、仏が持つような能力を習得するための修行の場とされてきました。

   その結果、起源や内容を異にする「熊野三山」、「高野山」、「吉野・大峯」の三つの霊場とそこに至る「参詣道」が生まれ、都をはじめ各地から多くの 人々の訪れる所となり、日本の宗教・文化の発展と交流に大きな影響を及ぼしました。三重、奈良、和歌山の三県にまたがる厳しい自然地形から成る霊場とこれらを結ぶ参詣道、それらを取り巻く文化的景観から構成され、世界でも類を見ない資産として価値が高く、2004年7月7日に世界文化遺産に登録されました。

 

世界遺産を守る取り組み

【維持管理】   各自治体でパトロールや保全活動をしています。パトロールは月約1回、地域団体への委託などで危険な場所がないかなど、定期的に見回る活動をしています。また歴史的景観を守るため、新たに作る建造物の外観ルールなどを決めて運用しています。

【啓発活動】   かつらぎ町では毎年、町内の中学校第一学年を対象に、三谷坂を実際に歩いて学ぶ「世界遺産体験学習」を実施しています。体験では三谷坂の歴史を学び、小さな生き物や植物への関心を高める機会にもなっています。2023年度、三谷坂のウォーキングマップを改訂し、三谷坂へのさらなる関心を促しています。また、和歌山県世界遺産センターが実施する「道普請(みちぶしん)(道の修繕工事)への協力を行っています。(和歌山県世界遺産センター)このリンクは別ウィンドウで開きます

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【展示会や講演会】   町内の文化財を中心に展示会や講演会を年数回行っており、身近なところでも歴史的価値を発見することができる機会を作っています。

【保存修理】   経年劣化、あるいは災害等で被害を受けた構成資産は修理・復旧活動をしています。

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▷みなさんも道普請(和歌山県世界遺産センター主催)や講演会などに参加してみませんか。

 

高野参詣道三谷坂と構成文化財

三谷坂ウォーキングマップはこちらからダウンロードしていただけます→表面PDFファイル(3481KB)裏面PDFファイル(8005KB)


   高野山には、大門口、不動坂口、黒河口、大峰口、大滝口、相浦口、竜神口から成る「高野七口」があります。それぞれの入り口につながるまたは取り巻く道は、「高野参詣道」と呼ばれます。
   高野参詣道のうち、正面玄関である大門口につながるのは、九度山町の慈尊院から出発し、当町の丹生都比売神社を経て、高野山奥之院まで続く町石道です。町石道には、西の那賀郡方面から上る麻生津道と、丹生酒殿神社を起点とする三谷坂の2本の参詣道が接続しています。

   三谷坂には、紀の川のかつての船着き場である三谷津から、丹生都比売神の降臨地とされる丹生酒殿神社を出発し、急坂を上り笠松峠から同神の鎮座地とされる丹生都比売神社を経由して町石道に合流するルートと、神社を経由せずに六本杉で町石道に合流するルートがあります。丹生都比売神社への参詣道ともいわれ、起点の丹生酒殿神社辺りに住んでいた丹生都比売神社の惣神主が神社へ往復するために通ったのが起源と伝わります。1924年(大正13年)に、丹生都比売神社が官幣大社・正一位に昇格を記念する昇格報告祭で、勅使が通ったことから「勅使道」とも呼ばれます。平安時代院政期に白河上皇の第四皇子で仁和寺第四代門跡覚法法親王が、高野参詣道として三谷坂を利用したのが記録的には初見であり、高野参詣道の中でも参詣のために利用された歴史的起源を平安時代中期にまでさかのぼって検証できる道です。
   三谷坂の沿線には、次に挙げるような文化財があります。

□丹生酒殿神社
   丹生都比売神社の里宮(神主が住んでいた地域のお宮)であり、この神社の南の榊山を越えたところに落ちる七尋の滝に丹生都比売大神(丹生明神)が降臨したとされ、応神天皇創建と伝わります。社名は、丹生都比売大神が降臨した際に酒を献じたことに由来します。
   高野山絵図の「山図」に記載のあることから、12世紀には社殿が整備されていることがわかります。神社近くの薬師堂には丹生都比売大神を象った銅造神像を作成する為の木型がのこっており、元々は丹生酒殿神社にあった ものと考えられ、丹生都比売神社と密接な関係にあったことを物語っています。

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□笠石
   丹生酒殿神社から約20分歩いたところにある卒塔婆です。空海が町石道を歩いていたところ、風に吹かれて笠が飛ばされ、この石に引っかかったと伝わっています。
   塔身の上部西面には阿弥陀如来が彫られています。その形態から、南北朝時代(14〜15世紀)のものと考えられます。笠に見立てた板石を塔身が突き破る形態は、木製の笠塔婆が石製に変化したものと考えられ、全国に類例がなくたいへん貴重です。

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□頰切地蔵
   坂の上部にある平坦地の自然石に彫られた笠塔婆で、北に面する大日如来の頰が切れているように見えることから、拝むと首から上の病にご利益があるとされます。
   正面に金剛界大日、東側面に釈迦、西側面に阿弥陀の三尊が彫られ、南背面を自然石のままとするのは全国で唯一の形態です。丸顔とふくよかなお姿から、平安時代後期(12世紀)に位置付けられ、町指定文化財となっています。

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□丹生都比売神社
   紀伊山地北西部一帯の地主神である丹生都比売大神を祭神とする丹生神社の総本社です。空海の高野山開創の際に土地を譲ったという伝説があり、現在も高野山と密接な関係がある神社で、1700年以上前に創建されたと伝わります。
  本殿は第二・四殿が室町時代の建築で、その他の社殿も室町建築を踏襲しており、第一殿は一間社春日造として全国最大規模です。楼門も室町時代の建築で、羽を広げたような屋根が壮観です。国宝の銀銅蛭巻太刀拵をはじめ、木造鍍金装神輿、木造狛犬など多数の重要文化財を所蔵しています。
   また、毎年1月第3日曜日には天野の御田祭が奉納され、かつては舞楽がよく奉納されていたことなど、この地域一帯の芸能の中心でもありました。

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  この他にも、空海や丹生都比売大神(丹生明神)にまつわる伝説ののこされた自然物・人工物が多数残されています。


▷これらの文化財は、かつらぎ町のみならず世界人類の遺産です。みんなで大切に未来へ繋いでいきましょう。

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最終更新日:2024326